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2020年10月15日 [ニュース]

百寿コンシェルジュ誕生のルーツ

今回は、百寿コンシェルジュのコンセプトを決定づけたとも言えるエピソードをご紹介します。

もともと病院勤務していた私は、待ち時間対策の一環で、病院内のホールで「お困りごと相談コーナー」を開設することになりました。最大で50人が座れるようにテーブルと椅子を配置し、週に2度、ミニセミナーを開催しました。セミナーがないときは、ディズニー映画やシニアに人気のある歌手のコンサート等を大スクリーンに流すようにしました。飲み物の自動販売機(無料)やポット等の他、お菓子も無料で自由に食べられるようにしました。もちろん、新札待ちの間に個別相談に対応するのがメインなのですが、このコーナーは人気を博し、診察予定のない人たちまでもが集まってくるようになりました。この施策は、待ち時間対策と併せて、患者予備軍の囲い込みにもなっていたわけです。やがて、このお困りごと相談コーナーは、会員制のシニアコミュニティに発展し、終活講座や24時間対応の電話相談サービスへとつながっていきました。今日の『生涯青春アカデミー』と『お困りごとホットライン』の原点がここにあります。

時は流れ、私はフリーランスとなって、地域シニアのお困りごと相談を行うようになりました。が、大病院の看板がなくなると、なかなか会員集めも大変です。病院時代には600人余りもいた会員ですが、独立した当初はゼロが2つなくなりました。当然、いろいろな試行錯誤を繰り返したのですが、ある時、今日の百寿コンシェルジュのオペレーションが定まるきっかけになった出来事が起きました。まさしく、運命の出来事でした…・・・。

覚悟の瞬間 株式会社百寿研 山崎宏

以下に、そのエピソードをご紹介したいと思います。


あれは2006年の夏。うだるような日の午後のことです。遅めの昼食をとっていた私の携帯電話が鳴りました。かけてきたのは、当時勤務していた病院の患者さんで、院内で定期開催していた生涯学習講座『生涯青春倶楽部』の会員でもあった、品のいい70代の女性です。電話の趣旨はSOSでした。

「あっ。山崎さん?お忙しいのにごめんなさいねぇ。私、もうどうしていいかわからなくって…」

83歳のご主人の大腸がんが発覚したというのです。当の本人は痛くもかゆくもないらしいのですが、検診を受けた病院からは即手術すべしと言われたものですから、ご主人はうなだれ落ち込んでいたかと思うと、奥さんに突然つっかかったり怒鳴り散らしたりで手がつけられない...。
そういう内容でした。

近くに住む娘夫婦に相談しても動転するばかりで埒が明かず、藁をもつかむ思いで私に電話してきたと言うのです。昔からの患者さんでもありますが、自分が企画してはじめた生涯学習講座をひいきにしてくれていた人であったゆえに情が動きましたし、何よりも、困り果てたときに私のことを思い浮かべてもらえたということが何よりもうれしかったのを覚えています。

早速、外科の外来診察の合間に飛び込んで非常勤のドクターに状況を話すと、「詳しいことがわかんないと何とも言えんけどさ。怪しいと思えば切っちゃう。それが外科医のスタンダードだから。ま、外科医の切りたがり…とも言うけどね。ワ〜ッハッハ」とのつれない対応でした。

私は定時に職場を出るや書店に走り、がん関連の書物を買い漁りました。帰宅するや不眠不休で読み倒し、重要と思える箇所にラインマーカーを塗ったくりました。翌日、相談者である奥様とご主人をご自宅に訪ね、がんという病気の特性を何時間もかけて説明しました。


「私は医者ではありません。ですから本に書かれている内容の最大公約数的なことしか伝えられませんが」

そう断った上で、

「まず、がんの進行は極めてゆっくりなので、心筋梗塞や脳梗塞と違って時間はふんだんにあると思っていい。仮に本当にがんであったとしても、時間はたっぷりあるということです。つぎに、がんは生活習慣病の代表ですから、これまでの人生を振り返ってみて、何かカラダに悪そうな習慣が思い当たるようなら、それを今この瞬間から改めてみませんか? 最後に、他の医者の見解も聞いてみましょう。本当にがんかどうかの判定も、そうであった場合の治療方法も、医者によってかなり差があるようですから。大腸がんで実績の高い医者を、東大系、京大系、慶大系それぞれピックアップしますから。私、同席させていただきますから」

いま当時を振り返ると冷や汗ものですが、何かに憑りつかれたように一気に言葉のシャワーを降らせていました。そして、話し終えたとき、私は信じられない光景を目の当たりにすることに…。あの場面のことは、十年近く経った今でも、カラー動画で鮮明に描くことができます。決して忘れることのできない瞬間でした。

奥様と、父親を心配してかけつけた娘さんが、なんと大粒の涙を流しているではないですか!

「助けてください!どうかお力を貸してください!」
「お願いします!私たちだけでは何もできません。どうか、どうか、父を支えてあげてください!」

見れば、目を閉じてゆっくりとうなずいているご主人の頬にも光るものがひとすじ二筋。もう理屈ではありませんでした。できるできないの問題ではありません。何かが私のハートを直撃したのです。

この人たちを救ってあげなければ、いま自分がここに存在している意味がない! 

そう思ったのです。

「私ができることはすべてやります。ですからご主人。まずは今の状況をネガティブに捉えるような言動はやめませんか? 本によれば、それこそ、がん細胞の思うツボですから。むずかしいかもしれませんが、なぜ他の誰でもないご主人がこの時期にがんになってしまったのか。その意味を考えてみていただけませんか? がんという病気は、自らの人生を振り返る機会を与えてくれる病気のようなんですよね、本によると」

そう続けながら、私は胸のうちで何かが弾けるのを感じていました。

その翌日、娘さんに同行し、ご主人に大腸がんを告げた病院でカルテ写しと検査データを借用。同時並行で、同窓会名簿および名刺箱をひっくり返して、所見を聴くのにふさわしそうな医者20数名をピックアップ。ちゅうちょなく無遠慮で不躾なメールと手紙を送りつけました。併せて、がんを克服した患者さんたちの体験本を読み漁っては、ご主人に読んでほしい箇所に印をつけて、ご自宅に届けました。

3日以内に4名、一週間もすると10名以上の医者からの返事が届きました。「必要情報を用意してくれれば、いつでも診ますよ」と、快諾をもらえたのです。この時ほど、中高時代に進学校に通っていたことに感謝したことはありません。そして5名の医者に所見を聴き、結果的には手術しないという結論を出したのでした。その上でご主人は、私がいろいろと探してきた生活習慣改善策のなかから、温熱療法と食事療法、さらには内観療法にトライすることとなりました。

そうそう。セカンドオピニオンを受けた医者のうち3名が、「がんである確率が100%でない上、本人に何ら自覚症状がないこと。そして、年齢的なことから、摘出手術後の抗がん剤治療の生活負担を考慮すると、速やかに手術すべきとは言いがたい。肉親であれば、必ずしも摘出手術を選択しない」という所見をくれたことは、今でも強く印象に残っています。

医者というのは、患者に施す治療と身内に行う治療が異なるものです。にもかかわらず、身内に寄り添うような説明とアドバイスをしてくれた同窓の先輩たちには心から感謝しています。余談ですが、この一件以来、セカンドオピニオンを受診する際には、必ずこう訊くようにしています。

「ドクターの身内の方が同じ状況にあったとしたら、どうされますか?」

話を戻しましょう。

結局ご主人は、日々の生活を見直しながら、手術することなく過ごしていたわけですが、やがて私が別の病院へ転職したのを機に、徐々に関係も薄れていきました…。


覚悟の瞬間 株式会社百寿研 山崎宏


この女性から再び連絡が入ったのは、2012年の秋のことです。それは、私が最後に勤務した病院を離れ、NPO活動に専念しつつも収入が激減し思案に暮れていた時期でした。ご主人が亡くなったことを知らされた私は、通夜と告別式の日取りを確認しながら、きちんと挨拶もせぬままに病院を移ってしまった不義理を後悔していました。

聞けばご主人は、その後も生活習慣に気を配りながら、趣味の釣りや囲碁を楽しみながら穏やかに過ごされたとのこと。年に2回、ご夫婦で温泉旅行にも出かけられたことを奥様はとても喜んでいました。さいごまで、大した痛みもなく、体調不良も訴えずにエンディングを迎えられたとのことでした。

告別式で、奥さんに言われたのを覚えています。

「おかげさまで、私も娘も、納得して主人を見送ることができました。がんの一件があって依頼、主人の怒りっぽかった性格が消えちゃったんですよねぇ。主人はいつも、山崎さんにいただいた本や資料をそばにおいて読み返していました。内観をやっていただいてからは、私や娘に感謝や謝罪の言葉まで口にするようになりましてね。最初はどうしちゃったのかとびっくりしたんですが、主人がそうなると、私のほうも主人にやさしく接することができるようになって。あれから6年…。なんだか、がんのおかげで最後のさいごに、安らかなふたりの時間が持てたように思えるんですよねぇ」

そして、その後の私を決定づける出来事が...。

ご主人の葬儀が終わり、おいとましようとしていた私のところに、奥様と娘さんが駆け寄ってきました。お菓子が入ったお洒落な紙袋と、奥様の手には分厚い封筒が握られていました。

「これ、主人からです。山崎さんに渡してほしいって」
「???」
「父はさいごまで、山崎さんに出会えたことに感謝してました。がんを告知されてからというもの、死ぬことが恐くて、ちょっとしたことで怒って母に八つ当たりして。でも、山崎さんにお会いして、がんという病気についていろんなお話を聴かせていただいて、たくさんの本もいただいて。その本に付箋や書き込みがいっぱいしてあって。動揺していた気持ちがだんだん和らいできたって言ってました。最後に母と仲良く過ごせたのは全部あの人に会えたおかげだって。できれば、もう一度会って、直接お礼が言いたかったなぁって。父の気持ちなので受け取ってやってください」

いゃあ。ジーンときました。あのときの私は、本当は自分がいちばん不安だったのに必死でそれを見せまいと、祈るような思いで奔走していただけでした。でも、娘さんの言葉と奥様の笑顔に触れて改めて思いました。

できる限りのことをしておいてよかった…。

安堵の涙をぬぐうと、呼んでもらったタクシーのなかで、手渡された封筒を開けてみました。そして1秒後、後部座席で私はぶっ飛びました!

な・な・なんと、100万円!

同封された手紙には、危ういほどの筆圧で力ない文字が綴られていました。

「山崎宏様 私はあなたに救われました。がんになるまでの私は、自分勝手のわがままで、ひどい男でした。でも、妻と娘にわびて、そしたら心が落ちついてきました。らくな気分で死んでいけます。あなたのおかげ。ありがとうございました」

なんだか、涙がこぼれてきて止まりませんでした。ただ必死になって飛び回っただけの私に、こんな言葉をかけてくれるなんて、私には想定外のことだったからです。がんのことだって、今にして思えば、もしかしたら誤った情報や、単なる私の思い込みを届けていた可能性だってあるかもしれないのです。ただ結果オーライだっただけかもしれません。なのに…。

心のこもった、最後の力をふりしぼった手紙。そして御礼と書かれた封筒の中身は100万円です。
100万円ですよ、100万円!

私はNPOへの寄付という扱いで、謹んでこれを受け取ることにしました。帰宅して早速奥様と娘さんにお礼の書状をしたためると、数日後に娘さんから返信が届きました。

「父の件でよくわかりました。頼れる誰かがいるというのは、本当に安心できることなのですね。母も私も山崎様を頼りにしております。母ももう歳です。これからいろいろあると思います。支えていただけませんか。どうぞよろしくお願い致します」

手紙を丁寧に折りたたみ、封筒の中に戻しながら、大きな溜め息をひとつ…。
その時です、ビビッときたのは!

これだっ!

そう。私が進むべき道が決まった瞬間です。 

相談を聴いて答えを伝える。それだけじゃダメなんだ!
情報や講座だけじゃダメなんだ! 
実際に動かなきゃダメなんだ! 

年齢的なこと、健康上のこと、家庭の事情。いろんな理由で円滑に動けない人に代わって動いてあげなきゃダメなんだ! 
代わりに動いてあげる時間と労力に、人は価値を感じておカネを払ってくれるんだ! 
世の中の相談窓口は聴いて答えるだけ。オレはこれから、実際に動いてあげるんだ!

「聴くだけ番長、言うだけ番長ではありません。Doまでやります、DO(どう)します?」

これだ! 
これが他の専門職や相談窓口とは決定的に異なる、私だけのアドバンテージなのだ!

百寿コンシェルジュの告知https://youtu.be/g3tcpqW1zzA”>https://youtu.be/g3tcpqW1zzA
百寿コンシェルジュ認定講座の告知<https://youtu.be/q4XMzWm5UIY”>https://youtu.be/q4XMzWm5UIY


ダイヤモンドオンライン記事「民間の終活系資格は本当に食べていけるのか」https://diamond.jp/articles/-/189661”>https://diamond.jp/articles/-/189661

ダイヤモンドオンライン記事「終活セミナーに潜入してみてつくづく感じたこと」https://diamond.jp/articles/-/186838”>https://diamond.jp/articles/-/186838

つくづく思います…。

誤解を恐れずに言えば、年配の人たちの一部は、医者もクスリも水道もタダだと思ってるフシがあります。情報もまた然りです。ただ相談に乗るだけでは、それがいかに価値ある情報であっても、財布を開かないのです。目に見えて、自分のために動いてくれてるんだなと、理屈ではなく見える化して、カラダでわかってもらわなきゃおカネを取ることはできないのです! 

カウンセラーじゃダメ。アドバイザーでもダメ。コンシェルジュでなければならない!
そういうことなのです。

このご家族とのやりとりを経て、私は「人生100年時代の老い先コンシェルジュ」というコンセプトに行き着いたわけです。

かくして、2013年よりコンシェルジュサービスを前面に打ち出しての活動がスタートしました。そして、今現在も、相談者に同行したり、相談者や家族の代わりに手続きをしてあげたり、事情を聴いて一から十まで請け負ってあげたり...。そうすることの対価で生業を立てています。

そして、2019年より、『百寿コンシェルジユ』という認知症対策と終活支援の認定資格を創設して現在に至っています…。

BSタイムズ掲載記事BSタイムズ掲載記事

LEC百寿コンシェルジュ認定講座概要ページhttps://www.lec-jp.com/100jc/”>https://www.lec-jp.com/100jc/

私が行っているのと同じことを、ひとりでも多くの方に、それぞれの地縁ある場所で提供してほしいと願っています。
いまの日本には、元気なシニアが、いつでも・なんでも・気軽に相談できる窓口がありません。

認知症に加え、感染症リスクを意識する人が格段に増えた今こそ、百寿コンシェルジュの価値はさらに高まりつつあります。
類似資格や相談機関がない分、先行者利益型で売り手市場のビジネスモデルだという自負と自信があります。

何かの事情で、現在の仕事や職場を見直そうかと思っていらっしゃる方がいたとしたら、是非一度、百寿コンシェルジュのことを調べてみてほしい…。そう願っています。

LEC百寿コンシェルジュ認定講座お申込みページhttps://www.lec-jp.com/100jc/kouza.html”>https://www.lec-jp.com/100jc/kouza.html





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